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それから2週間

4/14に肺壁挫傷で病院に行ってから2週間が経った。
それから、どうなったのか心配されている方々…なんているかは知らないけど、すっかり治った。
一時はかなりの痛みが肺にあったけど、90パーセントは回復した。

発病中は電車の優先席とかに座ったりしてたし。
おかげで老人に苦労も少し分かった。
これからは老人や障害者に優しくなろう。

60年前の記憶

<元日本兵>63年ぶりに親族と対面 涙で抱き合う 盛岡
(Yahoo!ニュース)

元日本兵である上野石之助さんが60年ぶりに、日本へ帰郷した。
戦死していたと思われていたので、親類は驚いたことであろう。

僕の大叔父もニューギニアで戦死している。
もしかしたら、同じようにどこかで生きているのではないか、という想像もしてしまった。





大叔父の稲葉松平氏は、当事陸軍のパイロットで、1944年に23歳で戦死している。
しかし、実際に戦死は確認されておらず、厳密には行方不明のままなのだ。
多くの状況から、空戦中に相手に体当たりしたといわれている。

稲葉松平氏は、僕の祖父の弟にあたる。
岐阜で生まれ育ち、陸軍士官学校、明野航空学校を経て陸軍パイロットと進んだ。
現代でいうところの、防衛大学から航空学校へ進み、航空自衛隊の戦闘機パイロットになるようなものだ。
かなり困難な道で、同時からすると現代の東京大学に入るよりも難しい道だったという。
それだけエリートな人物だった。
航空学校を卒業したころには太平洋戦争が開戦しており、彼は実戦へと身を置かれる。
最前線のニューギニアに配属されたのは、幸運と思ったか不幸と思ったかは分からない。
しかし、戦死するまでに30機の敵機を撃墜し、その活躍は朝日新聞でも紹介された。
「空の宮本武蔵」という異名があったくらいだ。
今だに祖父の自慢であり誇りの存在だ。





そのまま戦後も生きていたら、きっと偉人になっていたことであろう。
僕にとっても身近な親族だけに、惜しい存在だった。

実は僕が現在、写真の仕事をしているのは、少なからず彼の影響がある。
彼が学生の時に撮った写真が残されている。
同級生を撮ったスナップが中心であるが、当時の若者の表情を生々しく撮られており、
本質的には現代の若者と代わらないと感じる写真だ。
今でこそ、多くのカメラがあふれているが、当時からすると、かなり貴重な存在だ。
ましてや、現像やプリントも容易で出来る環境もなかっただろう。
そんな環境で、あれだけの写真がよく撮れたものだと、つくづく感心する。
軍人は人並み以上の精神と肉体を持っているものだが、
彼はそれに加えて、かなりの芸術センスも持ち合わせていた。
僕が写真のことを勉強すればするほど、彼の写真の質の高さに驚くばかりだ。
永遠の目標なのかもしれない。





もし、上野石之助さんのように稲葉松平氏がどこかで生きていたら…。
僕がカメラマンの仕事をしていることを、どう思うだろう。

しかし、彼の魂が死んでいたとしても、写真は永遠に生き続ける。
僕も時代を越えた写真を残していきたい。



一生の悩み 近眼

僕は生まれつきのド近眼。
視力は0.005ほど。
メガネやコンタクトレンズが生活に欠かせない。
いったいどんな世界なのか。
なかなか文章で表現もできないので、ふと考えて写真で表現しみた。



矯正した場合


裸眼の場合


これでけっこう再現できた
要はピンボケしているかんじ。
撮影した今日は、まだ天気が良かったので視界がボケていても、
なんとなしに何があるかは分かる。
ゆっくり(時速15kmくらい)であれば車の運転も可能。
しかし、暗くなってくると何が何だか分からない。
車の運転は不可能です。

何でこんなド近眼なのか。
子供の時に勉強をしすぎたせいか。いや、これはありえない。
テレビゲームのやりすぎ?これも特にはないように思う。
実は両親もド近眼なので、単純に遺伝なのだろう。
しかし、妹だけはなぜか視力が1.0あるという。

お金もけっこうかかる。
メガネだって安くはない。
コンタクトレンズも高いし、洗浄液も毎月2000円はかかる。
何より、手間もかかる。
旅行の時はめんどうなことになる。

近眼は努力でどうにかなったりするものではないけど、
これだけは一生の悩みだ。



黄砂の中をバイクでお出かけ





昨日につづいて、今日もバイク日和。
しかーし、黄砂の影響なのか、バイクに運転していると、
目はかゆいは、口はジャリジャリするは。
目に見えないので、やっかいです。